孤独死は不幸なのか? 135話

近頃、どこそこで老人が誰も気づかないまま死んでいた、何とかしなくてはと地域の役員が騒いでいましたが、死は悪ではなく、人間の定めであり生まれた時から、大人になるまでに誰もが見たり聞いたりして知っている事で、何も驚いたり嘆くことでもない。

無論、子供や親兄弟 恋人や友人などが亡くなれば悲しくなるのも人間である以上、自然であり動物でさえ悲しむのが知られています。されど、人には事情があり、生き方も違う、人生観も違います、例え、誰でもいいから
毎日、訪問して貰いたいと思う人もいれば、煩わしいと嫌がる人もいましょう。

訪問を期待する老人は、かっての親切を装った詐欺師グループの豊田商事などの悪徳商法に引っかかりやすく
オレオレ詐欺なども、家族の連絡が密でない高齢者がやられる事が多い、たまに息子らしき人物から電話があると、嬉しくなり何とかしなくてはと焦り泣く破目になるのでしょう。

誰にも看取られず死ぬのは可哀そうという、同情心からでしょうが、それは生きている人の視点から見た場合で
全部の人かそう思っているわけではない、死に対する考えは人 様々で孤独死も結構 何でも可と思っている
人にとっては余計な、哀れみや同情心はいらないと思うのでは。

殺人とか、災害 事故死以外の畳の上の往生ならば、お釈迦様のような大往生でなくともマア、良かろうと思う
人達もいるでしょう。国によっては墓のない所もあり、かって、チベットなどでは鳥葬といって死者をコンドルに食わせて天国に送る風習があった。

死者にとっては生者が何をしようとどうする事も出来ないのだが、大寺院で金ぴか衣装の高僧たちに拝んで貰えれば天国間違いなしと思っているわけではなく、生きている者の見栄や相続争いの為にやっているようなもので
葬儀に並ぶ人達の中には、豪勢な葬式だとか、寂しい葬式だったとか、跡目は誰になるのかの噂話で死者を弔う気持ちはあるのかわからない人もいるだろう。の

どうでもいいような人間に集まってもらって、酒をふるまい、高額な戒名とかをいたたく為に貴重な時間を浪費
することはあるまい、人間、最後は質素で真に悲しむ人たちだけに別れを告げれる時間があれば、マア幸福な
人生であったと言えよう。

悲しむ人もなく、誰にも看取られず突然死したとしてもそれは、その人の天命であり凡俗の一生の一寸先は闇であり、誰にも予測出来ないもので生まれた時から、大人になり、老人になるまでの間に、いつ天命が来ても、いいような生き方をしておればいいだけの話で、親が教えてくれなくともそれを考える暇は誰でもある筈である。

普段からそういう問題を避けて、惰眠を貪り安楽に暮らしてきていざ、死が近くなると恐怖に駆られてこの世の生にしがみつくのは醜いのではなかろうか?これは凡人のみならず、聖職者や高僧と言えども醜く俗世に執着する人間がいるのも事実である。

それは何故か?答えは簡単である大衆には神仏の教えを説いているが、自分たちが信じていないからそうなる
神仏を絶対に信じていれば、何も死を恐れることは微塵もない、この世の行いによって神が裁くのであれば、インチキはなく、公平に裁いてくれるでしょう、私はそう思っているので、如何なる死も天命と思い受け入れます。

青山至る所にあり、何ぞ悲しむことあろう、もし、傍に居る人があれば、そう言って天命を受け入れる生き方を常日頃よりしておくように教え諭すことが、去りゆく人の功徳でありましょう。坂本龍馬も手紙に書いている、この首が胴体と離れて道端の溝に転がるような事が「何者かに首を切られてもという意味」あっても体は前向きに倒れたい、進みたいとあり、孤独死を悲しむような事は全然、考えていない

行った先が天国か地獄かはわからねど、それ相応の場所に連れていかれるでしょうー私自身、特に善人とは思っていませんのでどうなるかは神様にお任せであります。ゆえに孤独死が不幸とか悪いとか、可哀そうなどと
思ったことは一度もありません。

生きて来た結果が事故死であれ、孤独死であれ、それは全て自己責任であり恨む事も嘆くこともなし、断じてなし、戦争で海底の藻屑と消えた、軍艦の乗組員には遺骨はない、南方の戦場で戦死した多くの日本兵を米兵が
ブルドーザーで処理していた映像がありましたが当然遺骨はない、インパールでも置き去りにされた白骨はどうなったか?

過酷な時代に戦場で亡くなった人達は誰を恨むべきか、すべてはそういう生き方しか出来なかった自分であろうか?権力者か? それはまだ70年しか経っていないではないか・・・それから見れば、自分の思うように生きる自由を与えられた日本人が天災であろうとなかろうと、孤独死を嘆くことはあるまい


関東大震災は十万以上、先の大戦では三百万以上の日本人が犠牲になっている、他国にも犠牲を与えた日本人が学んだ教訓は何か、諸行無常か? ハワイの真珠湾攻撃で始まった戦争が、原爆とソ連参戦で終わるとは
誰が予測できたか・・・人間の一寸先は本当に真の闇であり、今、幸福であろうと不幸であろうと死というものは
突然来る「神にはわかっているが」

要はそれをいつ、来ても謹んで受け入れる用意が出来ていればいいのであって、大葬儀も豪華な墓も必要なし
何回忌とか言って坊主に儲けさす風習があるが、是もおかしい、私がキリスト教でいいなと思うのは、皆が墓に
死者を入れたら、それで散会するシステムで、無論 戒名もない、私はクリスチャンではないが、あの世がこの世の金権で左右されることはない筈で、なんでも金というのは間違っている。

私が墓も葬儀も戒名も要らないというのは、固い信念で神を信じていれば当然、そうなる、まして孤独死を恐れたり、嘆くこともゼロである、己の生き方がそうなったというだけで、傍に誰かいてもいなくても良く、マザーテレサや親鸞聖人を呼ぶこともない、ナイチンゲールとか新島襄のような生き方をして来たなら、何で私が孤独死なのかと抗議も出来ようが、凡俗の私には頭を下げて、受け入れるしかできない

なお、このブログをお読みになった方でこれに関する詩歌のブログもありますので、お暇がありましたらご参考までに御笑覧ください。
ブログはhttp://santi17.blog.fc2.com/blog-entry-114.htm1 洋二郎の歌 孤独死を嘆くあなたに104★です。

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